の機能は未分化、逆にいえば多機能的または包括多目的、C未端行政の補完作用を果たしている、D旧中間層を主力とする伝統的保守主義の温存基盤となっている」(森岡清美他編『新社会学辞典』1993年、有斐閣、1016貢)である。ここでは、われわれが先に挙げた住民組織の3つの指標に当たるものは何も出てきていない。そうした指標は、日本国内だけ見ていれば自明の前提といえないこともないが、国際的な比較のためには、対象とされる組織の共通の特徴を定義しておくことが不可欠である。この作業抜きの特徴づけは日本的特質の強調に導きがちであり、このことは従来の町内会研究が批判的視点を前提になされてきたものであることを示している。

 

3. 住民組織の成熟の条件
現在といえども、人は地域の中で生活している。「住民」とは地縁によって結ばれた人々を指す社会的範疇である。現在、住民の地縁意識は希薄となってきているが、ある地域に住むことは、客観的には、その地域で生活する人々と共通な世界で生きることである。それは地縁集団というより地域社会であり、このような共同社会を、今日ではコミュニティ(community)と呼ぶ。
コミュニティは、その規模が大きくなるにつれて、地域共同の事務(地域管理)を遂行するための機構(組織)を必要とする。また他方で、住民の個別の関心によって、多様な集団が生みだされる。これらはいずれも地域住民の組織であるが、前者は、コミュニティ自身の管理を目的とする全住民にかかわる組織であり、後者は、個々の住民の関心によって生みだされ、参加は任意であることを本質とする。これらは、R.M.マッキーバーにならってともにアソシエーション(association)ということができるが、コミュニティの共同管理にかかわるアソシエーションと、それ以外の任意的なアソシエーションとを区別しておくことは、極めて重要である。前者の、コミュニティの共同管理にかかわるアソシエーションが町内会・自治会と呼ばれるものである。それは法的根拠を持たず、公行政組織と区別されている点では任意的なものであるが、全住民にかかわるコミュニティの共同管理を担当する組織という意味では単なる私的なものとしての後者と区別されるものである。
このように全住民をカバーすることを前提とする共同管理アソシエーションは、住民構成の多様化と価値観の多元化によって、その運営が極めて困難になっている。これに対して、任意的アソシエーション組織は、関心を同じくする同質的な住民の組織なので、運営・維持がまだ容易であり、波はあるものの活力を失わないでいる。こうした活力の差を理由に町内会の存在意義を疑い、地域とのつながりも薄い任意のネットワーク型の組織に期待を寄せる動きも見られる。町内会否定論ないし地域諸組織「横並び」論は、組織の性格の違いを見落とし、より困難な課題を避けるものとならないか。関心の多元化につれて、同質性を維持するために次々と分化する任意組織が、住民自治に関しては、まとまって参加してくることがありうるのか。その時、それら団体のまとめ役はだれなのか。全住民参加型の組織は、異質なものを統合して自ら住民自治を実現しようとする組織であり、異質な住民をかかえる地方公共団体と同様に、その運営には高度な力量が要求される。住民の中にこの力量を育て活用するシステムをつくることが必要ではないか。あるいは、そうした役割は公行政がすべて担えばよいと考えるのか。
一方で、公行政は、膨大化、複雑化する共同事務を処理するために、業務を分割し専門的に担当する方式をとるだけでなく、このシステムを住民組織にまで持ち込んで、行政協力体制をつくりあげてきた。生活の現場に近づくほど、事柄は相互連関的になり、家庭では育児、介護、保健からゴミ、防災、経済などをすべて総合して処理している。世帯規模の縮小で低下しつつある生活機能を補うシステムとして、公私の間に共同の領域が必要となる所である。この共同の領域が、生活のもつ総合性の原理でシステム化されるか、行政のもつタテ割りの分業性の原理でシステム化されるかは、共同の領域を管理する組織のあり方を大きく規定する。タテ割りで行政部門ごとに住民の協力委員を設置し、その度ごとに少額の助成金をつけていく方式は、地域の共同の領域を行政のタテ割り分業体制に組み込んでいくことに他ならない。自治行政が整備されるにつれて、町内会等の住民組織が行政末端化していき、住民の総意と創意の結集の場となりにくくなっていった。またそのことから、委員ごとが行政への責任を果たすことが求められるために、終日の昼間に活動

 

 

 

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